インド・ラダック自転車旅 その3 ~試練のカルドゥン・ラ~ The bicycle tour in Ladakh, India Part 3: The trial of Khardung La

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目次

 

日程一覧

0日目:成田 -> クアラルンプール、クアラルンプール -> デリー

1日目:デリー -> レー

2日目:レー -> カルドゥン

3日目:カルドゥン -> ディスキット

4日目:ディスキット <-> フンダル

5日目:ディスキット -> レー

6日目:レー <-> シェイ

7日目:レー -> デリー、デリー -> クアラルンプール

8日目:クアラルンプール -> 成田

 

 

峠のはじまり

朝5時ごろ宿を出発し、自称「自動車で登れる世界一高い峠」カルドゥン・ラ(Khardung La; Khardong La)を目指します。

 

カルドゥン・ラ・ロードの起点

宿からここまでの高低差ですでに疲労がたまりつつあります。

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道中にカラフルなストゥーパがありました。

つづら折りばかりなので、カルドゥン・ラの登り約40kmのうち半分ぐらいはレーの市街地かその北に広がるオアシスを見下ろしながら進むことになります。

 

タルチョが張り巡らされています。画面を横に倒して観るとけっこういい写真に見えるはずです。

砂漠気候にもかかわらず、当たり前のように雨が降ってきました。現地の人々はこのタルチョで雨宿りしていました。

 

インド軍の車列が轟音を響かせて登ってきました。つい2か月前にも同地域でインド軍が武装勢力に襲撃されて5人の死者を出したわけですが、きっとこんなシチュエーションだったのでしょう。

ちなみにトラックで運ばれていたのは人でも武器でもなく、牛でした。なぜ?

 

オアシスの果て

 

平和ボケした日本人の感覚からすると少々尖った標語ですね。

道中には国境道路機構(Border Road Organization; BRO)やインド軍Siachen Warriorsの看板が一定間隔で建てられています。

2つの強国との紛争を抱えているだけあって血の気が多い。インド軍が頑張っているおかげでこうしてサイクリングを楽しめるという側面があるのは間違いないです。

 

見渡す限りの荒野を進みます。雄大すぎる。

ちなみに、ネット上の記事の多くには「カルドゥン・ラ・ロードの大半は舗装路」という趣旨の記述がありますが、これは語弊のある書き方だと思います。アスファルト舗装路は早々に消え去り、多くの区間では砂と砂利に足を取られながら慎重に進むことになります。タイヤつるつるロードバイクで登るのは無理です。

 

こちらはBROの看板

交通安全啓発のポエムが書かれています。

 

10kmぐらいは進んでいるのですが、まだレー北部のオアシスが見えます。

 

斜度はほぼ全区間で一定で、そんなにきつくはありません。標高さえなければ、ですが。

 

ショベルカーが道をふさいでいます。

気の遠くなるような時間をかけながらも道路工事が進んでいるようです。

奥の黒っぽい色をした峰の向かって左上あたりが峠の頂上です。

 

受難

検問所(South Pullu)を超え、標高4000m後半に差し掛かったところで、ついに高山病の症状が現れました。

自分の場合は頭痛や吐き気などはなく、ただ尋常でないペースで疲労がたまって身体が動かなくなっていくという症状でした。まず自転車に騎乗するということができなくなり、後半15kmほどは自転車を降りて登ることになりました。行けども行けどもよくならない路面や、日本でもなかなか見ないレベルの雷雨によるメンタルへの影響も重なったのだと思います。

 

最初は10歩進むごとに1分間息を整える、の繰り返しで少しずつ動けていました。しかし、徐々に連続して歩ける距離が減り、息を整えるのにかかる時間が増え、といった感じで、着実に身体が動かなくなっていき、残り数km地点で地面に座り込んだまま動けなくなってしまいました。

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声をかけてくれたり酸素ボンベを差し入れてくれる人がいたりしてインド人の優しさに心を打たれました。当然彼らからは下山を勧められるわけですが、同行者はすでに遥か先におり、ネットが使えないので連絡は取れず、下山したくても先に進むしかないという地獄のような状況に陥ってしまいました。(ちなみに頂上付近ではネットが使えます。)

戦いの終わり

時刻は18時、長い間うずくまっていました。自力で先に進むのが不可能であるということはすでに悟っていました。

不本意ではありますが、最後の手段であるヒッチハイクを試みます。

 

しかしこんな夕暮れに峠を越えようという物好きは多くありません。たまに通るのはバイクか満員のシェアタクシーです。運よく止まってくれても頂上まで自転車を載せてくれるほどの余裕はなさそうでした。

ひとつ絶望的な気づきだったのが、ラダックではヒッチハイクのハンドサイン(親指を立てるアレ)が通じないということです。ヤエーだと思われてしまいます。地面にうずくまって不調をアピールするか、車の前まで出ていかないと停まってはくれません。

 

幸運にも、ちょうど峠から下ってきたトラックが停まってくれました。荷台には数人の土木作業員。最後の力を振り絞って頂上まで運んでほしい旨を伝えると、少し話し合った後に車の向きを変え、荷台を指差して自転車を載せるよう促してきました。一緒にいた人たちは帰路を急いでいたのか、後ろからやってきたバスに乗って下っていきました。この一時だけでもかなりの人に迷惑をかけてしまいました。

 

頂上までは一瞬、かくして僕は同行者と再開することができました。

わざわざ来た道を引き返してまで自分を峠に運んでくれた一団には感謝しかありません。しかも運賃はいらないと言います。

 

安堵したのも束の間、上昇負荷による吐き気が込み上げてきました。

モニュメントの裏でキラキラしていると(ものを口にできなくなってからかなりの時間が経っていたので胃液しか出てきませんでした)、峠で待機していた軍人が近づいてきます。

breathing ploblemであることを伝えると、おもむろにパルスオキシメーターを取り出して僕の指に装着してくれました。

酸素飽和度がとんでもない数値になっていました。コロナもびっくりです。すぐにクソデカ酸素ボンベのお世話になることに。

本格的に酸素吸入をすると一瞬で症状が治ります。身体が軽いし食欲も湧いてくる。自分の身体に“生命”を感じます。

無茶をする観光客への対応には慣れているのでしょうが、テキパキと処置してくれたインド軍の人たちには感謝しかありません。

 

ギリギリ開いていた峠の屋台で頼んだミルクティーが胃酸の味を上書きしてくれました。

例の標高詐称モニュメント

裏の岩場には僕の胃液が微分子レベルで存在している…?

 

下山

日はすでに傾きはじめ、一刻も早く下りたかったので、これ以上の散策はしませんでした。でも夕方のカルドゥン・ラは昼間とは打って変わって空いていて、散策や写真撮影にはこれ以上なく良い時間帯です。

 

この日は裏カルドゥン・ラを半分ほど下ったところにあるカルドゥン(Khardung)村のホームステイに転がり込みました。この間同行者に頼りきりだったのが少々情けないです。

簡素でいい宿でした。

水道はありませんが、この際そんなことはどうでもいいです。聞けばこの地域では日光浴で身体の清潔さを保つのだそう。

幸運にも、宿に併設されているレストランで夕食にありつけました。

ラダックは田舎でも遅い時間まで営業している飲食店が多い印象です。

謎の麺料理を食べました。ヌードルといえばこの炒め麺を指すようです。どこのレストランでもメニューのChinese欄に書いてあるので、中国発祥なのでしょう。

味の濃い焼きそばです。

 

この日は多くの人々の温かさに触れることができました。しかし、準備も体力も足りないままカルドゥン・ラに臨んで情けない最後を迎えてしまった僕は、旅行者としてそんな高潔な人々に見合うだけの態度を示すことはできていなかったのだと思います(6年前の台湾旅行での経験を生かせていません…)。猛省あるのみです。

 

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